茂木和哉の汚れ落とし人生 シーズン1
こんにちは!茂木和哉(@motegikazuya)です。
いつも洗剤や掃除のことばかりなので、たまには自分のことを話してみようと思います!
なんとなく野球をやっていた学生時代
私の故郷は、毎年8月に全国花火競技大会(大曲の花火)が行われる秋田県大仙市です。
その大仙市に44年前、稲作農家の次男として誕生しました。
中学校を卒業後は、稲作農家に生まれたので自然な流れで…ではなく、学力的に選択肢がなく農業高校に進学します(笑)
高校では、小学校から野球を続けていたこともあり、深く考えずに野球部に入りました。
しかし、入部したことを後悔するぐらい練習がきつく、しかも休みがない状態でした。
「1日でいいから部活を休みたい…」
当時は、毎日思ってました。
そんなある日のことです。
担任の先生から「毒物劇物取扱責任者試験」の受験のお知らせが私の届きます。
「これはチャンス!」と思いました。
なにがチャンスかと言うと、なぜなら正当な理由で部活を1日休めることができる「チャンス」が舞い込んできたからです(笑)
もちろんこのチャンスはしっかり生かしました。
でもそんなしょうもない考えで受けた試験です。
もちろん合格するわけがありません。
当時の自分の頭では難しすぎました。
初めて本気で勉強した毒物劇物取扱責任者
でもです。
毒物劇物について勉強するのが、なんか面白いと感じたんです。
勉強嫌いだった私が、そんなこと思う事ってそれまでの人生ではなかったことです。
「またチャンスがあったら受験してみよう。」
そんな気持ちを抱きつつ高校を卒業しました。
高校卒業後は、稲作農家出身なので…ではなく、学力的に他に選択肢がなく農業短大に進学します(笑)
そして短大2年の時に、また担任から毒物劇物取扱責任者試験のお知らせが届きます。
3年前の「勉強がなんか面白い感じ」を思い出した私は、迷わず受験することにしました。
この時は、本気で勉強しました。
おそらく人生の中で一番勉強したと思います。
これまでの人生でほとんど勉強していなかったので、脳みそが乾いたスポンジ状態だったんでしょう、本気で勉強したらどんどん吸収し化学物質名や特性を覚えていきました。
どのぐらい覚えるかと言うと、覚えるのにすごく苦労した「ジメチルメチルメルカプトエチルチオホスフェイト」と言う黒魔術の呪文のような名前の特定毒物を今でも覚えているくらいです(笑)
実施試験の勉強も頑張りました。
どのぐらい頑張ったかと言うと、全て透明な液体である塩酸、硫酸、硝酸を、ガスの出方と振った感覚だけで確実に分かるぐらいまでです。
そんなレベルまで頑張ったこともあり、無事合格できたんです!
資格を活かして業務用洗剤の販売会社に就職
始めて取った国家資格です。
就職にいかさないわけにはいかないと思い、就職先を求人票を見ながら探してたところ「毒物劇物取扱者手当有」文字を発見。
迷わずその会社に入りました。
そこが今の私の基礎をつくることになる化学工業薬品や業務用洗浄剤の販売会社でした。
そしていよいよここから私の「汚れ落とし人生」がスタートします。
その会社には営業マンとして入社しました。
入社してから2,3年は、会社で仕入れた業務用洗剤を給食センターや温泉浴場を中心に販売しました。
学校給食センターには、台所洗剤や中性洗剤をよく売りました。
その経験から、台所洗剤をざっくりとですが勉強できました。
ちょっとマニアックですが、「直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩」とか「ポリオキシエチレンアルキルエーテル」などの界面活性剤についてです。
大腸菌O-157が問題になったりした頃だったので、除菌剤についても勉強できました。
エタノール除菌や塩素殺菌などです。
そして温泉浴場には、水垢洗剤を良く売りました。
その経験から酸性洗剤について勉強ができました。
当時は温泉浴場用の水垢洗剤がほとんど出回ってなかったので、食品工業用やボイラー用の洗剤を温泉施設に紹介してました。
「茂木流掃除術」の基本は、用途で洗剤を選ぶのではなく、汚れにあった洗剤を選ぶことです。
具体的に言うと、カーペットについた油ジミを落としたいなら、カーペット用洗剤を選ぶのではなく油汚れ用洗剤を選べ。と言う事です。
その考え方は、この時の経験からです。
それと夏場は、学校プールに塩素剤を販売していました。
おかげで塩素剤についてかなり学びました。
無機系に有機系、液体に固形、すべての塩素剤の特徴を完全に覚えました。
今の塩素剤の知識はすべてこの時のものです。
清掃作業を経験
20代中盤に入ってからは、清掃作業をし始めました。
貯水槽清掃業監督者の資格を取り、施設や市に貯水槽の清掃の営業をして回りました。
そして決めたら自分がタンクに入って清掃作業をしました。
なので仕事が決まれば決まるほど洗浄スキルが上がっていきました。
それと老人介護施設や温泉浴場の循環配管の洗浄もしました。
それももちろん自分で営業してです。
循環配管の洗浄は、非常に良い経験でした。
家庭の風呂釜配管も理屈は同じですので、当時の経験が今になってかなり生きてます。
どんな洗浄剤が効果があるのか、効果的な作業手順が全てわかりますからね。
20代後半に入ってからは、本格的に浴場清掃にチャレンジしていきました。
普通の浴場ではなく、温泉浴場を積極的に営業しました。
しかも内容は、浴槽内のカルシウム系の水垢の洗浄、展望風呂のガラスのシリカ系の水垢の洗浄、木部のカビ取り洗浄など、レベルが高すぎて他の清掃業者ではできないような仕事ばかりあえてチャレンジしていきました。
そのおかげで、泉質と水垢を見るだけで相性の良い洗剤が分かるようになりましたし、汚れの状態をパッと見るだけで最適な洗浄方法が頭に浮かぶほどまでになりました。
独学で洗剤を作り始める
それと独学で洗剤を作り始めたのもこの頃です。
当時の社長に許可をもらって作り始めました。
倉庫にある薬品は、すべて洗剤の原料に使えるものばかりなので、もうたまりませんでした(笑)
洗剤作りに手を出したら、おそらくハマるような気がしていたのですが、実際作り始めたら案の定洗剤作りに完全にハマってしました(笑)
独学でかなり勉強しましたが、どうしても分からないことが出てきます。
でもそんな時に教えてくれる人はまわりにいません。
「もっと洗剤作りのスキルを上げたい!」そんな気持ちが日に日に強くなり、環境を変えることにしました。
茂木和哉、30歳の頃のことです。
業務用洗剤のメーカーに転職することを決めたのでした。